2018年7月から8月にかけてインドネシアのロンボク島は大きな地震に見舞われた。草の根援助運動は、現地NGOの東ロンボク・ワーカーズ支援センター(ADBMI)とともに、2018年9月から被災地復興支援を開始した。震災後1年の被災地の様子を報告する。

草の根援助運動はインドネシア·東ロンボク復興支援プロジェクトを「連合(日本労働組合総連合会)」による「愛のカンパ」の支援を受けています。

ロンボク最高峰のリンジャニ山麓にあるテテバトゥ村の復興は順調だった。震源に近く、昨年末にはテント暮らしをする人々も目立ったが、政府などの援助も届き始め、テントは見かけなくなった。地震後途絶えていたという海外からの観光客の姿も見かけるようになり、村は活気を取り戻しつつある。震災で全壊していたPAUD(幼児教育センター)は立派に再建された。草の根援助運動の復興支援に対し、村の人々から「大変ありがたく助かっている」という声をいただいた。

 インドネシアの村では村人の相互扶助(ゴトンロヨン)により、地域コミュニティセンターが作られ、PAUDやムショーラ(イスラム教礼拝所)として活用されていることが多い。昨年、まずバトゥセラ村のムショーラ兼PAUDが再建され、被災者たちの心のよりどころとして機能している。テテバトゥ村のPAUD再建も、同様の趣旨のプロジェクトだ。

今回、テテバトゥを訪れたのはインドネシア独立記念日の前後に当たり、子どもたちや先生は祝賀パレードのコスチュームづくりに精を出していた。PAUDには子どもたちが学ぶ読み書きやイスラームの教材などもよく整備されていた。さらに、教材の中に教員用のカウンセリングの手引きなどもあり、子どもたちのケアに活用されていた。昨年は「子どもたちはまだ地震の恐ろしさを忘れることができず、崩れる危険のある屋内を怖がって入ろうとしない」と聞いたが、今はPAUDで元気に活動する子どもたちを見ることができる。地震によるトラウマが徐々にだが癒えてきていることを願っている。

しかし、ロンボク全体の復興はまだ道半ばにあると言える。ジュリット村はテテバトゥの近くにある。ある程度復興が進み落ち着いた感じのテテバトゥ村に対して、ジュリット村は建設途中の建物が目立ち、復興は遅れている。ジュリット村のムショーラ・PAUDは全壊を免れたとのことだったが、壁に縦横に亀裂が走り、応急で補修してある跡が痛々しい。また、天井の梁などには破損した建物の部材などが保管されている。ジュリット村のPAUDのリーダーは、「全壊した建物には村役場から再建の援助が下りてくる、しかし、半壊だったここには援助が全く来ない」さらに「子どもたちは怖がってPAUDの中に入ってこない」と語っている。

 北東部の海岸にあるラプパンダン村は、さらに復興が遅れている。ラプパンダン村のムショーラ・PAUDは、借地に仮ごしらえで造られている。建物の堅固さも教材面での整備状況も、ジュリット村に比べ更に見劣りがする。

北東海岸の幹線道路が大雨で崩れたため、バトゥセラ村への自動車による通行ができなくなっており、十分な支援が困難になっている。

 支援の必要な村は多く、私たちのできることは限られている。ジュリット村やラプパンダン村に比べれば順調に復興しているように見えるテテバトゥ村でもまだ問題は多い。たとえば、テテバトゥ村のPAUDにはまだ仮設トイレしかない。同様のトイレに対する切実な要望はバトゥセラ村からも寄せられている。支援の優先順位をどのように考えていくか、現地を隅々まで知り尽くした東ロンボク・ワーカーズ支援センター(ADBMI)と相談しながら、今後も取り組んでいきたい。

東ロンボク・ワーカーズ支援センターは現地で様々な事業を展開しており、今回の訪問ではそうした現場のいくつかを紹介してもらえた。それにしても東ロンボクの人たちはどこへいっても「自分たちの社会をどうするべきか」についてよく議論をする。ラプパンダン村近くのスナンガリ高校でもそうだった。学校の職員たちは、私たちや東ロンボク・ワーカーズ支援センターのメンバーを巻き込んで、相互扶助のあり方や望ましい援助について活発な議論を展開し、その熱気には圧倒される思いだった。

 最後に「もし明日、日本で大地震が起こったら、今度は私たちを助けてくれるかい?」と聞いてみたところ、全員が一斉に熱い反応を示してくれた。「私たちはPeople to Peaple の関係じゃないか。当たり前だよ!」