村から見るマニラ湾の夕日

   20168月の強制排除騒動を思い出すと、今年70歳になるセニおばあさんは今も震えます。高齢者と小さい子どもたちはあらかじめ少し離れたところに避難していたのだけれど、「怖くて怖くて、私はずっと泣き続けてた。それ以来ストレスで、体調もよくないの。」

   それでも、この生まれた土地を一度も離れたことのないセニは、ここ以外での暮らしなんて考えられない、と言います。「ここは静かで、のんびりした土地。みんなが知り合いで、誰も子どもの時から知ってる。夫のエディももちろん幼なじみよ。」二人の両親も、そのまた両親も代々この村の生まれ。「私にはこの村がすべてなの。」

 

  

学校だけはピースゾーン

ハイスクールのアントン校長は、衝突が起きたその日、催涙ガスの煙が立ち上り銃声さえ聞こえる中で、学校にいれば安全だと生徒たちに伝え、登校してきた生徒を校舎内で保護していたといいます。「授業ができるような状態ではなかったけれど、教員たちにはなるべく平静でいるように伝え、私は生徒を守るためにできる限りのことをしました。学校はいつだって生徒が楽しく安全にいられる場所。排除命令が出ているため施設補修予算は差し止められているけれど、子どもが最後の一人になるまで、この学校は子どもたちを迎え入れます。」

 

落ち着いた10年生の生徒たち

  よその村からここに嫁いできたモニークお母さんは、「私は闘ったわよ」と腕まくりをして笑います。嫁いで間もない頃は静かで人見知りだったモニークも、3人の子どもを育て、今や一家の中心。私がやらないでどうする、という表情で「こうやって、たくさん石を投げてやった。ここはみんなの村。こんなにいいところは他にない。私たちは絶対に出ていかない。村人は強いのよ」と豪快に笑います。「子どもたちの帰ってくる場所を、守らなきゃね。」

モニークは負けていない

   こうして2001,000人ほどの村人は移転に応じず、今も居残っています。