子どもたちへの教育プログラムを全村で再開

文字を持たない部族  ドンゴリア・コンドの教育プログラムは、2000年から開始され、2011年まで全村で非公式の教育を中心に、一部の子供たちの公立学校への就学という形で進められてきました。彼らは、文字を持たない言語(クイ語)を使い、数の概念を持たない部族であるため、市場でだまされたり、近隣の人々との交流もままなりませんでした。また、彼らは、家族の生活を維持するため、5歳ごろから、家畜の世話や森での採取、幼い弟や妹の世話をする日々でした。

NEW HOPEの教育プログラム  しかし、NEW HOPEの教育の重要性の啓蒙から村人も教育の重要性を認識するようになり、教育プログラムが開始されました。教育内容は、オリッサ州の公用語であるオリア語と算数と保健衛生を中心にしたものです。  町から遠く離れた森の中や丘に住む彼らは、町の学校に通うのは多くの困難があり、また、家庭の仕事もあり、教師が派遣されることもないことから、行政府に一切頼らない非公式の教育にならざるを得ませんでした。そこで、以前公立学校へ行ったことのある青年を教師として訓練し、各村(小さな村は隣村と合同)で夜間を中心にプログラムは始まりました。2010年には、全ての子供たちが、非公式か公立の学校へ通うようになり、プログラムは順調に進むかと思われました。

ナクサライトとの話し合い ところが、2011年、隣の州(アンドラプラデシュ州)から軍隊に追われたナクサライト(インド共産党毛沢東派、以前ネパールで政権を取ったネパール共産党毛沢東派の兄弟組織と自称)のゲリラが、この地でのボーキサイトの採掘反対を叫びながら侵入し、村は大混乱に陥りました。

正規の学校への就学 村は、昼間は、国軍の支配下にありますが、夜になるとゲリラの支配下になるため、夜の外出は非常に危険になりました。そのような状態下、全村での非公式の教育プログラムの実施は、一部を除いて困難になったことから、昨年ようやくNEW HOPEとゲリラの話し合いが行われ、NEW HOPEは、ゲリラがどこに潜んでいるか等の情報を一切軍や警察に通報しない、我々は、ドンゴリアの住民のためのプログラムを行っているだけであると伝え、ゲリラもそれを尊重するとして、全プログラムが再開されるようになりました。  今、各村のリーダーは、2000年からのプログラムを受けた若者がなっていることから、教育に対する思いは非常に高くなっています。  以前からNEW HOPEは、非公式の村での教育では不十分と考え、寄宿舎制の州立の正規の学校への就学を進めています。当初、学校側は、寄宿制度は完備されてはおらず、困難であるとのことで否定的でありましたが、NEW HOPEと親たちの熱い想いに屈して学校側が折れたとのことです。なお、寄宿舎制といっても、寝るところは空いた教室にゴザを敷いただけの部屋です。これらの学校では、裏庭で小さな菜園が子どもたちによって運営されており、NEW HOPEや親たちも米やランプの明かり等を供給するなどの援助を続けています。