PRRMの戦略                      草の根援助運動 小野行雄

第1期PRRMの開発戦略
PRRM初期の開発戦略の基本は、イェンの考え出した「四要素アプローチ(Fourfold Approach)」である。
イェンは、貧農の基本的な問題は貧困、非識字、病気、市民的無力感の4つにあるとし、この4つは相互につながっているとして、4つのコンポーネントからこれらを改善する統合的なアプローチが必要だとした。4つのコンポーネントとは、「貧困と闘うための生計向上、無知や迷信と闘うための教育、病気と闘うための保健衛生知識、無力感と闘うための社会組織と自治の技術」である 。
PRRMの姉妹組織であるIIRRが1960年に発行したパンフレット によれば、それはイェンの中国における運動の経験からきているという。以下この資料により、イェンが行った中国北部における「四要素アプローチ」の実際を見てみよう。

コミュニティに入った開発ワーカーは、まず農民がもっとも必要としているものを見極め、それから実際のプロジェクトを開始する。
1) 識字と文献理解
まず若者に対する識字キャンペーンを行う。これは同時に自尊心を取り戻す活動でもある。壁新聞などが読めるようになると、その学習者たちがアシスタントになり、教師にもなって識字を広げていく。ある程度広がったところで、「農民新聞」を農村で購読するようにする。
次に、農民の問題や興味についてのイラスト入りパンフレットを作成する。その範囲は歴史、物語、音楽にまで広がり、「民衆図書館」を形成する。学ぶことの楽しさを知り、さらに各地の人々を知るようになることが、この大きな成果である。
2) 保健衛生
このシステムのポイントは、住民の役割を重視することにある。村(Barangay)レベルで、識字教育修了者を中心に村保健ワーカーを選び、予防と伝染性疾患コントロールに重点をおいた保健衛生教育を行う。予防接種や薬の使い方も教え、自転車と保健キットを提供していくつかの村を回らせる。
準地域(subdistrict)レベルでは、看護士レベルのスタッフが駐在する保健ステーションを設置し、村保健ワーカーをサポートする。
地域レベルでは、病院施設があり医者と看護婦がいる保健センターを設置し、保健衛生教育や予防接種などの計画と実施を行う。
3) 生計
主要産物である小麦および綿花について、指導により生産性を上げた農民から種子の提供を受け、他の農民への供給を行う。また、農民の参加によりブタや鶏を改良し、よりよいものにしていく。ビジネスマンに対抗するために、協同組合をつくって共同出荷を行う。冬の農閑期には村落工業や組合の組織運営、会計などのトレーニングを行い、モデル農民を養成する。
4) 自治
当初は上の3要素だったが、のちに四番目の要素として自治が取り入れられた。地方行政との話し合いを繰り返し、改革を進め、農民が自分たちの代表を選べるようにしていく。実際には、この活動はかなり難しかったようである。

イェンは、この経験をもとにPRRM開発ワーカーを養成した。したがって、初期のPRRM「四要素アプローチ」は、ほぼこれに沿った形で行われた。
Dalisay(2002-b)によれば、PRRMにおける「四要素アプローチ」は以下の通りである。

PRRMの開発ワーカーは、村でまず男性組織「農村再建男性組合(Rural Reconstruction Men’s Association - RRMA)」、女性組織「農村再建女性組合(RRWA)」、それに若者組織「農村再建若者組合(RRYA)」を組織する。
RRMAに対しては農業技術や協同組合の組織化、マーケティング手法を教え、RRWAには育児と栄養、家族計画と職業技術を教える。
若者組織RRYAにはトレーニングを行ってメンバーを保健ワーカーおよび識字教師とする。
各村にはリーディングセンターをつくり、RRYAによるドラマやゲームを通じてノンフォーマル教育を実施する。
村には保健衛生教育と初期治療のための小型クリニックがつくられ、開発ワーカーが農民に知識を伝達し、時には健康チェックも行う。RRWAの母親たちが、代替保健ワーカーとしてのトレーニングを受ける。
1955年に村議会法が通過し、56年最初の村議会選挙が行われたのを機会に、PRRMは自治に関する教育も行った。

こうした実践を、PRRMは、「ショーケース」ではなく、どこででもまねができる「パターン」として示そうとした。多額の費用を使って立派なショーケースをつくるのではなく、誰もがどこでもまねできるような「複製可能モデル(replicable model)」をつくるというこのコンセプトはまた、「社会的実験場コンセプト(Social Laboratory Concept)」とも呼ばれた。
PRRMは、ヌエバエシハ州サバニ、リサール州マリキナといった地方の中心町を選び、そこを社会実験場として機能させるために、8人のワーカーからなるチームを派遣、農業や農村工業、保健衛生、保育などを組み合わせた活動を行った。
現在もPRRMの信条(Credo)としてニュースレターやパンフレットに必ず印刷されている文は、その頃のPRRMの哲学をよく伝えている。

民衆のところへ行け
彼らのところで生活せよ
彼らから学べ
彼らとともに計画しろ
彼らとともに働け
彼らの知っていることから始めよ
彼らの持っているものの上に作れ
示すことで教えよ
することで学べ
豪華なショーケースでなく簡単なパターンを
雑多なものでなくシステムを
断片でなくまとまった方法で
順応でなく変革を
救済でなく解放を

 毛沢東語録に使われている文言 とよく似た詩文だが、PRRMのスタッフは今でも必ず教え込まれ、就任の際には宣誓式の中で詠唱することになっている。


第2期PRRMの開発戦略

 第2期初期の段階で、モラレスとセラノは、1)人々のエンパワーメントを「四要素アプローチ」の中心におく、2) 「四要素」に「環境」を付け加える、3) エコシステム 、地区、州レベルにまで開発をスケールアップする 4)フィールドでの実践と政策研究・アドボカシーを統一的な戦略とする、という4つを重点課題とすることに合意した。それは次のスローガンで表されている。

「人々のエンパワーメントによる農村の開発を 」

「四要素アプローチ」を堅持していること、イェンの思想を生かしていることなどでは第1期PRRMの流れを汲んでいるといえるものの、第2期の開発戦略には第1期とは明らかに違う点がある。それは、エンパワーメント―民主化―社会変革という下から上への流れを強く意識している点だ。第1期の「四要素アプローチ」にも「無力感と闘うための自治の技術」という項目が入ってはいたが、全体としては個人の改革を通しての生活向上という面が強く、社会変革に向けての姿勢はゆるやかだった。第2期では大きな開発の枠組みとしての社会が意識されており、一歩も二歩も踏み出している。
こうした動きについてイェンは、「新しいリーダーたちは時代と歩調を合わせている、ある種の『左翼マニフェスト』を運動の中に取り入れていくのはいいことだろう」とセラノに語ったという 。86年のエドサ革命はフィリピン史に残る画期的な大変革であり、その時代の熱気がそのまま取り入れられていったということができる。


第2節 SRDDPモデル

第1項 成立

「持続可能な農村地域開発プログラム(The Sustainable Rural District Development Program- SRDDP)」は、こうした検討の中から成立した統合的開発プログラムである。SRDDPそのものはNOVIBが支援した5州で展開する特定のプログラムを総合的に呼んだ名前であるが、その背景には副代表イサガニ・セラノが中心となって構想した開発のフレームワークがあり、すべてのプログラムの思想的背景ともなっている。以後ここではそれをSRDDPモデルと呼ぶことにする 。
1988年、セラノは、オランダのNGO「NOVIB」に招待されて、オラシオ・モラレスと共にバングラデシュとインドのNGOを視察した。訪問したのはBRAC, Proshika, Grameen Bank, Gonoshastaya Kendrz, AWARE, ADATS, IRRMといったNGOで、セラノとモラレスはそこで独自の開発モデルの構想を得て、アイデアを検討し始めた。さらに89年には、セラノはフォード財団の招待によるアメリカでのNGOリーダーによる会議に参加し、マーチン・コー、バンダナ・シバ、デビッド・コーテンといったいわゆるオルタナティブな開発の論客等と討論した。そうした中で構想を固めていったのが、ローカルな変革を進めながら同時に構造を変革し、国家の変革にまで力を及ぼすフレームワークであった 。
セラノはこれを、89年、2本の短い論文にまとめた。
その中でセラノは、持続可能な開発を「現在のニーズを満たすだけでなく、将来の世代がそのニーズを満たす能力を決して弱めないこと」と定義し、バターン州における1988年の赤潮の例をあげて、開発を持続可能にしていくためには環境に対する配慮が不可欠であるとしている 。
このセラノの定義がその2年前に出されて大きな反響を呼んだ「環境と開発に関する世界委員会(World Commission on Environment and Development ? WCED)」の序文に書かれた定義 とほぼ同じであることは言うまでもない。持続可能な開発の定義は数多くあるが 、これがその中でももっとも有名なものだ。
WCED(1987)はその定義に続けて「必要なニーズを満たすとは、貧しい人々が多数派を占めるような国々が新たな経済成長をするというだけでなく、その貧しい人々が成長を維持するために必要な資源の公正な分担を受けられるようにすること」と説明しており、持続可能な開発は資源の分配の問題と密接に結びついているという認識を示している。これらは、現在および未来の世界の人々全体のことを考えない限り開発という言葉は定義できない、という開発の新たな方向性を示唆している重要な認識である。しかしながら、同じWCED(1987)は「持続可能な開発は、生産能力増加および全ての人への平等な機会の保証の両方を通して人間のニーズを満たすこと 」とも説明しており、世界の人々のことを考えつつバランスのとれた開発を進める必要があるという、言うは易く行うにはむずかしい問題をあたりさわりなく提起しているに過ぎないともいえる。これは、国連総会の要請から生まれたWCEDの限界と言ってよいかもしれない。
一方セラノは、ここから持続可能な開発の実施可能性に目を向け、資源の管理と利用の民主化に言及していく。

ここで鍵となるのは、なぜこの種の(持続可能な)開発が実施されておらず、実現不可能に見えるのかということだ。この疑問に答えるためには、私たちは、開発のコストと利益について目を向けざるを得なくなる。そしてさらに、エリート対大衆貧困層の利益の衝突というところにまで考えることになる。

持続可能な開発への戦略としてエリートと貧困層の利益の衝突を持ち出すのは、左翼活動家たるセラノの面目躍如である。セラノはさらに、自然資源へのアクセスと管理の民主化が必要だとして、土地、森林、漁場といったものはコミュニティがコントロールするべきだ、とする。
セラノとモラレスはこうした考え方を基にして、民衆へのエンパワーメントによる持続可能な開発という戦略を作り上げ、「農村の民主化と開発プログラム(Rural Democratization and Development Program ? RDDP)」として実行に移した。この第2期PRRM最初期のプログラムについて、セラノは次のように書いている。

このプログラムは、農民組合、協同組合、地域組合といった農村組織を結成し支援することを目指している。そうした組織が自立へのメカニズムになる 。

セラノは続けて「この実践を通してPRRMは人々のエンパワーメントの実施可能なモデルと戦略を開発したいと考えている」と書いており、このプログラムがあくまで中間的で実験的なものであることを示している。
このRDDPは88年頃から90年頃まで実施されたプログラムの総称である。これを深化させたものが、SRDDPである。

第2項 SRDDPとSRDDPモデル

SRDDPモデルは、第2期PRRMの中心的な開発思想である。PRRMはさまざまな資料でこれに言及してきており、その時期によって内容も変化している。ここでは、1994年のパンフレット を中心に、その他資料を補足的に使って検討する。
パンフレットは、前半の第1章で、当時のラモス政権が打ち出した「フィリピン中期開発計画(MTPDP)93-98」の分析を行っている。それによれば、MTPDPは生活の質の向上を目標にかかげ、その方法として人々のエンパワーメントを挙げているが、人々が経済資源と政治資源に近づくすべに言及していないMTPDPではエンパワーメントはレトリックに過ぎず、一皮むけば相も変わらず政府主導による近代化による成長政策を堅持しているに過ぎない。
それに対抗する形でPRRMは「持続可能な農村農村開発プログラム(SRDDP)」を提出する。
まず第一に、開発は政府だけでも市場だけでも進められないとし、真の開発は市民社会がその両者の民主化を図りながら、三者が協調するところで可能になるとしている。ここで言う市民社会とは、NGOや民衆組織、市民グループや政治組織、それに大学や教会、メディアなどのなんらかの組織化された動きを指しており、一般的な定義 とは違っている点に注意する必要がある 。
SRDDPのいうエンパワーメントとは、経済的および政治的な決定権を自分達の手に取り戻すことができるような民主的でかつ強力な組織を作ることである。そして、それを効果的かつ持続的に使いこなすためにはエコロジカルな持続可能性、経済開発、生活の質の向上を手に入れていく必要があり、クリティカル・マスの達成がその軸になるとする。一定の地域での持続可能な開発が達成されれば、それがモデルとなって広がっていく、というのがその考え方である。
この一定の広がりを持った地域を「持続可能な農村地域(Sustainable Rural District - SRD)」と名付ける。これは、セラノのもうひとつの89年論文がもとになったアイデアで、開発プログラムとしてのSRDDPの核となるものである。
ひとつのSRDには、高地・中高地(midland)・低地・沿岸の4つのうち最低2つのエコシステムを含むものとし、その境界は川によって区切られる。経済面では、製造・加工・金融・商業が適度に現存するか、あるいはその可能性が含まれるものとする。社会政治的には、クリティカル・マスが生成され、政策面でのインパクトが可能となる物理的・人口学的条件を満たすものとして、5万世帯、20万人から30万人の人口をカバーし、平均1,500平方キロの土地を想定している。
こうしてフィリピンの地図上で設定したSRDは、セラノの90年のレポートによれば、フィリピン全土で225になる 。
このSRDにおいて、社会インフラ整備、持続可能な地域経済システムおよび基本的社会サービスシステムの構築を図るのがSRDDPである。

SRDDPはコミュニティ における以下のような社会インフラを基本に成立する(図2)。

1) 社会的に周辺化された人びとを、女性、先住民、農民、漁民など、社会的文化的集団ごとに組織化する。これらは、リーダー養成や生活と文化の向上、民衆文化の創造への寄与などを目的とする。
2) ついで生産者の協同組合を組織する。これは、持続可能な開発を実施する際の基本的ユニットとなる。
3) 次にコミュニティを単位として組織する。これには、上記の階層別組織、協同組合が含まれる。
4) 上記で組織化された組織からそれぞれ代表を出して、民衆評議会(People’s Council)を形成する。この社会的インフラは、ある時は既存の行政機構と協力し、あるときは政策提言を行なうなどして行政機構の対抗軸となる。

このSRDDPは、以下の7つのプログラムからなる。
1) 持続可能な農業開発プログラム
 ここで言う「農業」とは林業、畜産業、漁業などを包括した循環型の統合された農業のことであり、以下のものを含む。
 i. 適正規模の技術、およびエコ・システムにもとづいた、農業方法と技術
 水田・野菜畑では有機農法、山岳地帯では傾斜地農業技術(Sloping Agricultural Land Technology - SALT)、海岸地帯では資源再生プログラム(Coastal Resource Management ? CRM)を導入する。これによってまず貧困世帯の食糧を確保し、同時にコミュニティのレベルで貧困世帯の必要最小限のニ−ズを自給できるようにする。
 ii.輸出向けの単一換金作物を、地域の多様なマ−ケット需要に見合う作物に転換する。
 iii. 地域の小規模加工場向けの生産品目を増やす。その結果、その地域の持続可能な農業が、次に述べる地域レベルの小規模加工業の基礎となり、またその発展を保証することになる。

2) 地域レベルの小規模加工業開発プログラム
 i. 上記の持続可能な農業を支える小規模な工業を発展させる。これは農業に必要な機械器具の生産と、生産物の加工という、農業から見た場合上流と下流にあたる生産工程を含む。
 ii. 持続可能な農業の生産物が、消費者のニ−ズによって直接マ−ケットに回されるものと、地域の小規模加工場の原材料に回される比率のバランスを考慮する。
 iii より付加価値の高い製品の開発と、同時に雇用機会の拡大につながる加工場を発展させる。

3) オルタナティブな流通・マ−ケティング開発プログラム
フィリピンにおいては、農地改革が行なわれていところでは地主が、あるいは農地改革が実施されたところでもも元地主がポスト・ハ−ベストの加工・流通を独占的に握っている場合が多い。SRDDPの流通・マ−ケティングの開発は、この独占を打ち破るとともに生産者と消費者が利益を公平に享受することを保証するものとなる。

4) オルタナティブな金融システム開発プログラム
PRRMの金融は、貸付のみではなく、貯蓄を担保とする方式をとっている。また、貸し付け対象物件も、生計向上プロジェクト一般ではなく、上記2)の地域レベルの小規模加工業開発プログラムを想定している。その原資、担保金および返済利子を合わせ、PRRMの指導のもとでグループが管理することを理想としている。これは、フィリピン政府の銀行法で保証されている、資本金 100万ペソを最低限度としておかれる協同組合経営のピープルズ銀行 への転換を考えてのことである。ピープルズ銀行は、NGO(PRRM)と、 上述の社会インフラの項で述べた民衆評議会との共同で経営される。

5) コミュニティ・レベルの天然資源管理開発プログラム
i. コミュニティにおける環境の状況、悪くなっている場合はその原因、それに対する対策についての検討
ii. 土地のエコシステムに基づく、生計とも結びついたコミュニティによる資源管理プロジェクト
iii.環境に関わるすべてのアクターの協調の促進と、情報の普及とアドボカシーキャンペーンによる人々の環境問題への関心の喚起
 以上をコミュニティのPOを中心とした活動として組織する。

6) コミュニティ・レベルの初歩的な社会サ−ビス部門開発プログラム
自立、自助の原則に立った社会サービスである。プライマリー・ヘルス・ケア、民衆教育、廃棄物管理、災害対策といった社会サ−ビスをPOをベースに行うプログラムで、人々の手により保健衛生や民衆教育を進めて生活の質を高めていくことを目的とする。災害対策が入っているのは、フィリピンが災害多発国であり、その犠牲者が貧困女性先住民などに集中しているという現実からきている。

PRRMは、これらをひとつのコミュニティで進めるための期間として15年を想定し、NGOの介入を3段階に分けて導入期・強化期・撤退期の3段階を考えている。撤退したあとは、コミュニティが自律的にそれらのプログラムを発展させていくことが狙いである。パンフレットはさらに、プランニングと評価およびアドボカシーに言及して、SRDDPの全体像としている。

 無断転載はご遠慮ください   2004年3月 小野行雄