熱海殺人事件
1975年、早稲田の文学部に入学した僕は、退学一流、留年二流という教えを守ろうと、なるべく講義には出ずに街をふらふら。金も意気地も才能もないのに、結構あちこちのぞきまわっていました。
早稲田なんだから、演劇にもはまらなくちゃ。そんな思いもあって、唐十郎の赤テントや鈴木忠志の早稲田小劇場などにも通い、そんな中でつかこうへい「熱海殺人事件」も観ました。
赤テントの衝撃もすごかったけれど、赤テントは、いわば唐十郎が最初から仕掛けた衝撃をそのまま受け止めた衝撃。それに対して、「熱海殺人事件」の衝撃は、表現の底の底にある純粋なものに打たれての感動で、その印象はいわばトラウマのように、長いこと褪せずにむしろ僕を縛ってきたような気さえします。
僕が観たのは初演のオリジナルキャスト、三浦洋一、平田満、加藤健一の組み合わせで、色々な方のブログを見てみると、75年の秋の舞台のようです。
青山VAN99ホールという、文字通り99円で観られる当時としても破格に安い劇場で、VANというブランドをつくった石津謙介氏の社会的サロンのような施設だったようです。イヨネスコの演劇なんかもここで観たんじゃなかったかな。
つか演劇について、扇田昭彦は「アイロニーのある、露悪的で苦い笑い」と書いていたけれど(朝日新聞2010-7-13)、僕はそういう風には感じませんでした。僕が感動したのは、何重にも積み重ねられた意匠の下の、無垢な叙情性でした。
今さら正面に出すことなどできないような叙情的なものを、刑事がものすごいスピードで語るストーリーに犯人が合わせていくという仕組みの中で、少しずつ、少しずつ表現する。ほとんどなにもない舞台の向こうを見ながら平田満が語る言葉の中に、海が見えて、人々の心が見える。
観てしばらくたった夜、思い出して一人で泣いた覚えがあります。泣いたのは、叙情性そのものにもあったのだけれど、むしろ、現代の表現の屈折さ加減にせつないものを感じていたのではなかったかな。
当時小説を書こうとしていた僕は、全盛だったヌーボーロマンにも通じる、素直に書けないつらさを含んだ現代の表現というものに、時代の人々の苦しさを感じていた、ように思います。
ちなみに、僕は一流にはならなかったものの、二流にはなれました。それも、卒業の年にようやく優の数が二桁になるという成績で。それに苦しむことになるのは、かなり経ってから。
退学一流、留年二流、卒業三流。誰が言ったのやら、それを素直にやろうとする青年には、本来無縁のフレーズですね、今考えれば。文学、というものにやられてたんだなぁ。早めに諦めて、よかったのかもしれないね。



