2010年03月12日

マリピピという島

レイテ島の北に位置するビリラン島の更に北に、
マリピピという島があります。
ビリラン州の1つの市です。

電気は昼間の1時から夜中の1時まで。
州都―マリピピ間は船で1時間半程で、運賃は70ペソ。
州都への船は朝5時に1本、州都からマリピピへの船は朝10時に1本。
(もちろん時間はアバウト)
漁船のような小舟をチャーターする場合は、
州都ではなく、別の市に船着き場があり、片道400ペソの運賃。

マリピピに市場はありません。もちろん、ネットカフェもありません。
携帯の電波が不安定であったり、届かないところもあります。

この島へ何度か渡ることがありました。
自分の論文の調査地ではないのですが、
純粋に島の生活に興味があることと、また泊まらせてもらった家族が良い方々で、
留学が終わる前に、またいつか訪ねたいものです。


マリピピ行きの船の中。すいてるとこんな感じ。私も足を延ばしてくつろぎました。


透き通る海。泳ぐ暇はなかったけれど…


道はコンクリだったり、そうでなかったり。


お世話になってバランガイ・ヘルス・ワーカー(村の保健ボランティアの女性)と、
一緒に仕事したフィールドワーカーたちと。

2010年01月26日

マニラ湾、走っています。

「今ね、マニラ湾沿いを走ってるんだよ」
と言うと、マニラ湾沿岸漁民の顔がちょっとほころんだ。

風が涼しいこの時期、夕方にマニラ湾の夕日を見ながら走る。
なんて贅沢だ。

…と、言いたいところだけど、残念ながらメトロ・マニラ側のマニラ湾は臭い。
いくら海風が吹いていても、車通りの多いロハス通りは排気ガス臭い。

それでも、やっぱりまた走りたいと思って走り出した。

フルマラソンを走ったのは3年前。
走りたいと思いつつも、特に修士に入ってからは精神的余裕がなかった。

前の職場の研究リーダーだってずっと走っているし、
村上春樹だって走っている。
将来国際保健の分野で働きたい修士生も、走ったっていいじゃない。

家を出るとすぐ、バスやジープがたくさん走っている通りなので、
口と鼻をハンカチでおさえて早歩きでロハス通りに出る。
ロハス通りを渡って、スターシティという遊園地や
文化センターの裏は車が少なめで快適に走れる。

ロハス通りに戻って、アメリカ大使館くらいまでダーっと走って戻ってきて、
調子がよければそのままモール・オブ・アジアへ。
途中街頭が全くないところがあるので(かなり恐い)、
日が沈んでからは懐中電灯が必要。

モール・オブ・アジアの大きな地球儀が見えると、
ゴール!という感じがして、大して走っていないのに、
たくさん走った気になる。

走り始めた日は20分で早くも筋肉痛。30分歩いて、
空気の悪さに耐えられずジープに乗って帰るも、渋滞。。
2回目はやはり20分くらいで足は痛むけど、40分走ってみた。
3回目は1時間走ってみた。ももが痛い…
今までの運動不足が悔やまれる…

2月は調査でほとんどマニラにいないから、走れないかもしれない。
(ブログも余り更新できないかもしれない…)

でも、できる限り走りたい。いつかまたフルマラソンに出るために。
あくまで、修士を卒業してからですけどね。

2010年01月18日

気になったこと

テンポラリーな職場のRITMでのこと。

事務のお姉さまMさんの机に、Mさん自身の写真が1つと、もう1つ、
Mさんとそっくりな、でもMさんより若い女性の写真が飾ってある。

「娘さんですか?」と聞くと、
「え、誰の?誰が?」と聞き返され、私が言葉に詰まっていると、
「それ、私よ」との答えが。

2002年の頃の写真だそう。
そっくりというかMさん自身だったのね。
履歴書にもその写真を使っていたそうなので、よっぽど気にいっている写真なのでしょう。

…でも、家族の写真ならわかるけど、自分の写真、日本人は余り飾りませんよね。
Mさんは2児の母だそう。

人形みたいになっているフォトフレームの顔の部分に、
自分の顔写真をくり抜いて入れているスタッフが、PRRMにもいたなぁ。

こういったことからもわかるように、フィリピン人は自分が好きっていう人、多いと思う。
それって自信にもつながるから悪くないんだろうな。

ということで、私も自分の写真を。笑
注目はハート型のニンジン、もちろんオーガニックです。
(PRRMクリスマスパーティーにて、2009/12/4 撮影by Coco)

2010年01月10日

2009年から2010年へ

遅ればせながら、新年おめでとうございます。
ブログをすっかりご無沙汰してしまいました。

まず2009年、年末を振り返ると…
12月に入ってからは街も人もクリスマス・ムード最高潮。
職場でも学校でも、あらゆるところでパーティーが行われます。

12月2週目に修論の調査予定地に足を運ぶと、
ある市の看護師・助産師・ヘルスワーカーの方々
総勢150名のクリスマス・パーティーに参加することになりました。

言語も違う(タガログ語も通じますが)行ったことのない土地を、
場所と人の名前を手掛かりに一人で移動するのは、
かなりドキドキなのですが、なんとかパーティー会場に辿りつきました。

マイクを渡され、挨拶をしなければいけなくなり、簡単に自己紹介をした後、
「来年の5月以降、調査でお世話になると思いますがいいですか?」
と言うと、150人が、「OK!」と返事をしてくれました。
このノリの良さ、最高です。

年末年始は急きょ日本で過ごすことに決め、帰国3日前くらいに飛行機を予約しました。
いつも利用するフィリピン航空。始めて、座席にテレビがついている便でした。
私の座席のものは壊れていましたが、隣が空席だったので、
そこで'And I Love You So'というフィリピン映画を見ました。

ざっくりと言えば、結婚5ヶ月目にしてパートナーを亡くしてしまう女性が、
絶望を乗り越え、新しいパートナーと歩む決意をする、というストーリー。
連れ合いにストーリーの詳細まで話すと、新しいパートナーの方を
’ストーカー’と言っていました。確かにそうかもしれない。
私は涙しながら見ていたのに。そうか、あれはストーカーだったのか。

寒い寒い日本、年末には連れ合いの妹さん方と、
みなとみらいの高層階でビュッフェで満腹、
元旦には叔母の家でイタリアンおせちで満腹、
と食べてばかり。
また、実家の猫ともたくさん遊び、
日本の丸々とした猫はかわいいなぁ、と改めて思いました。

そして元旦の夜、教授から
「授業開始は5日からです。」というメールが。

4日からですよね、と私は日本に帰る前に確認をしていて、
そうだという返事をもらっていたのに…
その日程に合わせて飛行機のチケットもとっていたのに…
まぁ、こういうことにも慣れっこです。

マニラに戻る便もテレビつきでしたが、今回も壊れていて、
周りに空席がなかったので映画を見ることができず。

1月に入っても、まだクリスマスの飾りが残るマニラ。

1月から3月は日本の大学とフィリピン熱帯医学研究所
(Research Institute for Tropical Medicine)が共同で行っている
プロジェクトでお仕事をさせて頂くことになりました。

このプロジェクトは修論調査地のある地域が対象となっていることもあり、
公衆衛生関連のプロジェクトでお仕事をするのは初めてなので、
緊張もしますが、楽しみです。

仕事は集まる時に集まるものなのか、
2月・3月に通訳のお仕事のオファーも何個かきていて、
今の状況から引き受けることはできなさそうです。
嬉しいやら悲しいやら。。

2010年、学業と仕事、そしてNGO活動の両(?)立なるか。
(3者だと並立というのでしょうか…?)
ともかく修士過程を終えて、新しいステージへ踏み込む年となるといいなぁ、
と思います。
そのためには、ワーク・ライフ・バランスならぬ、
ワーク・スタディ・バランスが当面大事そうです。

皆さまにとって、幸多き2010年となりますよう!


(Bataan州、ウミガメ保護のPawikan Festivalの朝、2009/11/29)

2009年11月26日

別居婚

をしています。
いきなりで驚かれた方はごめんなさい。

私がフィリピン留学中で連れ合いは日本で働いています。
日本へ帰って実家の温もりを味わい、また、
連れ合いと一緒にご飯を作って食べたりすると、
マニラで1人ご飯を食べるのは寂しいです。

ラジオを聞きながら食べるのですが、そのラジオでは、
ミンダナオ島で選挙関係で57人が虐殺された報道が延々と流れています。

私は選挙には立候補しませんが、
修士論文のための調査地に予定しているところでは、
過去に医師が殺されています。

政治がらみなのかどうか、詳しいことはわかりませんが、
パワーを持っている人にとって不都合な人は、
簡単に握りつぶされてしまう、ということです。
しかも、命を消す、という形で。

オーバーかもしれないけど、
もし私の書く論文でパワーある人に不都合なことが生じることがあれば、
私も簡単に握りつぶされ得る、ということです。

そんなオーバーなことでなくてもリスクはそこら中にあるもので、
建設中のビルから頭の上に何か落ちてくるかもしれないし、
乗っている飛行機が落ちるかもしれない。

こないだ本当にあった話では、
反対側の車線から車が飛び出してきて、運転手の反応が遅かったら、
乗っていたバンが正面衝突したかもしれない。

バンジージャンプなどいつかはやってみてもいいと思っていたけど、
体に紐をくくりつけるだけのロープウェーで紐が切れて
半身不随になってしまった方があるという話を聞いて、
そういったたぐいの物は絶対やらないでおこう、
と今は思っています。

こういった考え方、多分昔はしませんでした。

Mr. Childrenの'Hero'という曲に
「たとえば1人の命とひきかえに世界が救えるとして」
という歌詞があるのですが、連れ合いと、
本当に世界が救えるなら命投げ出すよね、
という話をしていたことがあったと思います。
付き合う随分前のことですが。

でも、それは違う。
命と引き換えに、なんて、ゲームや映画の世界ではないのだから。

それに、まだ子どもも産んでいないし、やりたいこともあるし、
自分が何かすることで、ほんの少しでも変わる世界があるのだとしたら、
まだまだ死ねません。

同じように、まだまだやりたいことがあった人々が、
今回の虐殺で亡くなってしまいました。
女性・子ども構わず殺されてしまったのですから。

なんだか暗い話になってしまいましたが、タイトルに戻ると、
別居婚は寂しいけど、お互い目標に向かって頑張っていれば、
前向きなことだと私は思っています。
国際協力の世界で働いている方々は、別居婚率が高いと思いますし。

こういった話はとめどなく続きそうなので、
今日はこの辺で…

2009年11月11日

新学期

台風OndoyとPepengの後、10月中旬までは授業の課題やテストが大詰めで、
すっかりブログをご無沙汰してしまいました。

Ondoyの被害影響から大学の授業は1週間休み、
避難所となっている小学校はなかなか授業が再開できずにいたようです。

この休みのせいで授業の終わる日や試験期間が延び、
学期間の休みがとても短くなってしまったのですが、
私は日本へ帰るチケットをOndoyが起きるよりも早く購入していたため、
帰国予定日までに授業が終わらない、ということになってしまいました。

それでも、先生に日付変更できない旨伝えたら、
帰る前日にテストを受けさせてくれました。
(しかも先生方の部屋で。社会科学科は研究室は個室ではありません。)

日本では、奈良であった公衆衛生学会に少しですが、参加したり、
プライベートな用事を済ませたり…でなんやかんやと時が過ぎてしまい、
ご連絡できなかったお友達の皆さん、ごめんなさい。

今学期の授業は、必修1つ。これが最後の授業です。
この最後の授業が終わった次の学期に卒業試験を受け、
それが通ったら論文審査です。

先生達が話し合って卒業試験の時期を決めるというので、
’次の学期’というのが4月・5月の夏学期を指すのか、
またその次の学期を指すのかは不明です。

授業が1個だけなので、時間の使い方は自分次第。
できるだけスムーズな卒業を目指し、
今学期中に論文のための調査を進めて、
卒業試験ための勉強もする、というのが目標です。

できるかなぁ。
やらなくては。

2009年09月27日

Typhoon Ondoy

9月26日土曜日。朝起きるとすごい雨。
雨を見るとその日のやる気が少しうせるのと、最近寝不足のせいか頭が重く、また寝てしまう。
再び起きた時も雨。これは、今まで見た中で一番すごい雨かも…

外を見てみると、車のタイヤが埋まるほど、道路が水浸し。
キャーとか、うわーとか、叫びながら水の中を歩く人たち。
タイヤの回る音むなしく、水の中で進めなくなっているバイク。
間もなく、川沿いのスラムに住むお手伝いさんの家が流されたという連絡が。
皆、命は無事だという。よかった。

いつも聞いているラジオ局もずっと台風の報道。
子どもが家の二階に残されているの、朝学校に行ったまま子どもが帰ってこないの、
屋根の上でずっとレスキューを待っているけど一向に来ないの、
今日になっても(27日)電気がずっと止まっているの、
明日は学校はあるの?(メトロマニラは休みです)…などなど。
さらに、どんなことでも助けられることは助けて下さい、
ジェットスキーを持っている人は、レスキューするのに使って下さい、というリポーター。

昨日の夜中は、台風で気をおかしくしてしまったのか、外で叫び、笑う男の声が…

私は幸い、冷蔵庫に食糧があり、一日勉強以外の用事もなかったので、
外に出ずに済んだからよかった。
今日もしばらく雨が降っていたが、道路の水もひいていた。

2009年09月19日

かゆみと課題

腫れ・かゆみが1ヵ月もひきません。
プロジェクトサイト訪問でカビテ州の漁村に滞在した際に、
腕と背中をメインに、足も少しと至るところをダニ・ノミなどにやられてしまったのです。

病院に行く時間ももったいないけど、ずっとかゆいのも辛い。
日本から持ってきていたかゆみ止めも、
以前こちらの皮膚科で処方されたステロイドも効きません。
そこで、私が入っている保険会社の特別提携病院となっている、
マカティ・メディカル・センターへ行くことにしました。

キャッシュレスで診てもらえるお医者さんは決まっているようで、
当日はそのお医者さんは予約で埋まっているとのこと。
(電話するのが面倒で直接病院に来てしまったせいもありますが…)

別のお医者さんに診てもらう場合は、立替て払わなければいけないそう。
その場合、後で医療費を請求しなければならないし、面倒だなと思い、
キャッシュレスで診てもらえるよう、その翌日に来ることになりました。

そのお医者さんの予約は保険会社の人がしてくれていて、
家に帰って少ししたら予約の時間を電話で知らせてくれました。

ここはフィリピンだけど、何とも手際が良い!
アキノ元大統領が入院していたマカティ・メディカル。
あ、手際が良かったのは保険会社だけど…
でも、さすがです。

そして翌日予約通りの時間に診てもらい、
腫れのひどいところ10箇所以上に注射を打たれ(痛!)、薬を処方されました。
注射をがんがん打つ女医さんはちょっと怖かったけど、ナースが優しくて、
あー、こう優しくされると何で私はナースになることを考えなかったのだろう、
とすら思います。
でも、注射のおかげか、腫れは少しずつひいてきました。

さて、これで課題に集中できるはず…
今過去最高レベルに課題の提出が重なっています。。
涙が出てくる量だけど泣いても課題は終わらないので、やるしかないです。

先生の薦めで、THESAURUS(類義語辞典)を購入ました。
ボキャブラリーにまだまだ乏しい私には持ってこいです。
なんで今まで持ってなかったんだろう…

ということで、かゆみとの戦いの次は、課題との戦いです。

2009年09月10日

にわかにはまっていること

今National Bookstoreでセールをしていて、色んな本が安く売っています。
セールの棚から本を探すのは大変なので、
特に何かを買おうとしていた訳ではないのだけれど、
目についたのがPaulo Coelhoのコーナー。

アルケミストを読んだことがあるけど、残念ながらストーリーをあまり思い出せず、
でも面白かったことは覚えています。
確か何かの本で、父から息子に贈りたい小説などにノミネートされている、
とも聞いたことがあります。

セールかどうかは特に考えず、アルケミストの次に名があがっている
'Eleven Minitues'を買い、電車がすく時間までカフェに入って読みました。
値段は、ちょっと嬉しく25%オフでした。

モールのステージで有名人のライブがやっていて(私には誰だかわかりませんでした…)
ものすごくうるさいのだけれど、ぐっと物語に入っていけました。

帰りの電車の中でも、寝る前にも、
また別の日の電車の中でも、寝る前にも、
市役所でNGO登録のための書類手続きを待つ間にも、
読んでいます。

読んでいると、電車の中で大声で話している人達や、
よくわからない待ち時間などが気にならなくなります。

こんなにはまるなら、別の本も面白いはず。
オフになっているうちに買ってしまおうと、
また2冊、National BookstoreでPaulo Coelhoの本を買ってしまいました。

まだ'Eleven Minitus'も全部読めていなくて、
本当はもっとがんがん読みたい!のだけれど、
昨日、インフルエンザから回復した先生から、
読み物&リアクション・ペーパーの宿題メールが送られてきました。
そろそろ期末です。

そう、小説ばかり読んでいられません。
でも小説を読むと心が満たされていく気がして良い気分です。
こんな風に論文もがんがん読めるとよいのですが…

2009年09月02日

卒業ネゴのすったもんだ

今学期とっている授業を除くと、卒業に必要な授業はあと1つ。
(もしかしたら2つ…)

このラスト・ワンは必修授業で、先生曰く「卒業予定」の人がとるものだから、
私の所属科のクラスメイト達で履修できる人はいない。
だから公衆衛生学科の人達を募って、それでも生徒数は5名以下だろうから、
履修者が少数の場合は開講依頼書みたいなものを
所属科に提出しないと開講されないとか。

で、この授業は夏学期(4~5月)に開講されることが多いようで、
しかし夏学期は平日毎日の授業となるから先生がやりたがらないとか。

はぁ、なんじゃそりゃ。

じゃぁ来学期も夏学期も開講されなかったら一体いつ私は卒業するんですか?
って事務のおばさま(Julie)にかなり感情を鎮めるようにして聞くと、
「その次の学期だね」と。
その通りですけど…

ともかく公衆衛生学科のクラスメイトに協力を求めなくては、
と今日聞いてみた。「来学期必修開講されたらとる?夜の授業だけど。」
このクラスメイト、私と同い年の看護師さん、子どもが2人。
「うん、いいよ。」

他に同じコースの人を知らないのでとりあえず私と彼女を合わせて2人だけど、
「来学期開講して欲しい場合、いつまでに依頼書を出せばいいのですか?」
と、早速先生にテキスト(携帯のメール)をした。すると、'Please ask Julie'の返事。

そして今晩の授業(テスト難しかった…)の後、Julieに聞くと、
「いいわよ、依頼書なくても。来学期開講予定の授業と1個変えるから」
「え、それ先生はいいんですか」
「私から話しておくわ」

ありがとうJulie!昨日は本当にこのままじゃいつ卒業できるかわからないと
テスト勉強をしながら夜中かなり落ち込んだのに、落ち込み損だったかしら。。
でも先生がダメだと言ったら、まだまだわからない…

来学期授業をとり終えたら、その次の学期に卒業試験、
試験に合格したら論文審査…まだまだ道は長い。